吉岡 拓郎
takuro YOSHIOKA
コーチ - 背番号10
PROFILE
出身 宮城県 | |||
生年月日 | 1990年9月24日 | 血液型 | O型 |
身長/体重 | 170 / 66 |
【生い立ち】
~自然豊かな仙台での生活~
私は1990年9月24日に宮城県仙台市で生まれました。3歳上の姉と両親の4人家族です。仙台は自然が豊かなところであり、よく家族で公園に行って遊んだ記憶があります。小さい頃から休日は色々なところに連れて行ってもらいましたが、左下の写真は八木山ベニーランドに家族で遊びに行った時の写真です。幼稚園は明泉幼稚園に入園し、幼少期の頃から英語に触れる機会があり、動物とのふれあいも多かったです。幼いながら当時の記憶が残っており、さまざまな貴重な経験をさせてもらいました。
~教育熱心な母親の影響で習い事の毎日~
小学校は泉区にある南中山小学校に入学しました。私が通っていた習い事は、サッカー、テニス、英語クラブ、ピアノ、習字、塾など1週間のスケジュールが習い事で埋まるなど小学生ながらタイトなスケジュールでした。中でもピアノは1番苦手な分野であり、わざと学校から帰る時間を遅くして、ピアノの時間が少しでも短くなるように悪知恵を働かせていました。(笑)しかし、小学校6年間習っていたおかげで現在もピアノを弾くことができ、あの時にもっと時間を費やしていればもっと上手に弾けたのになと後悔しております。実は習い事の中でも1番始めたのが遅かったのがサッカーでした。近所の一つ上の幼馴染がサッカーをしていたのがきっかけで、小学4年生からサッカーを始めました。その幼馴染とは今でも仲が良く、小中学生の時は常に行動を共にし、髪型から服装まで全て真似をしていました。サッカーはゴールを決めた瞬間がたまらなく好きで、いつも攻撃ばかりやっていました。5年生になると宮城選抜にも選出され、海外遠征などにもいかせてもらい、この頃から将来はプロサッカー選手になるという目標ができ、サッカー中心の日々を送っていました。
~「プロサッカー選手になる」そう決めたはずが...~
中学は、FCみやぎバルセロナというクラブチームに入団しましたが、プロサッカー選手を輩出しているチームでもあり、当時は1学年が30〜40名ほど在籍していました。「良い人間性を持った選手が良い選手になる」という指導理念のもと、あいさつや周りの方への感謝の気持ちを持ちながらサッカーに向き合うようにと日々指導をしていただきました。中学時代は練習がきつくて毎日逃げ出したくなるような毎日を過ごしていましたが、多くの仲間と支え合いながら日々の練習を乗り越えていました。その結果、在籍中は3度全国大会にも出場させていただき、個人的には東北選抜にも選んでいただきました。FCみやぎで過ごした時間は、サッカー選手である以前に人としてのあり方を教えていただき、今の私に大きな影響を与えていると感じています。
高校は、仙台FCアルドーレというチームでプレーしていました。みちのく仙台FCの下部組織にあたるチームで、私は一期生となります。仙台FCアルドーレの代表である越川さんには、高校時代からピッチ内外で大変お世話になっているので、今でも頭が上がりません。笑 当時は、周りのことを一切考えず、自分の好きなように過ごしていたので、周りの大人の方やチームメイトにも迷惑をかけてしまっていました。いつの日からか、プロになりたいという目標から自分で限界を決めつけてしまい、挑戦することを辞めてしまったのも高校時代でした。なにか消化し切れない感情を残しながら、高校卒業とともにサッカーから離れる決断をしました。
~サッカーから離れることで気づいたサッカーの素晴らしさ~
サッカーから離れてからは地元の大学に進学しますが、サッカーとは無縁の生活を送っており何気ない日々を過ごしていました。そんな日々を過ごしていた中、友達に誘われたフットサルに参加してみると、久しぶりにボールを蹴ることが楽しくて定期的に参加するようになりました。ある日、そこに参加していた人から「もう一回サッカー真剣にやったら?」と言っていただいたことによりサッカー熱に再び火がつき、プロサッカー選手を目指すことを決心しました。そこからは、東北リーグに所属している社会人チームに入団し活動するなかで、JFLのチームへ練習参加させていただいたり、大学卒業と同時に高いさらに高いレベルでプレーできるチームを探していました。やはり、自分の中で楽しいと思える時間はサッカーをしている時であり、他の何にも変えられないと感じられたのも、一度サッカーから離れたからこそ、より感じられたのかもしれません。
~地元を離れて、関西の地で挑戦~
大学を卒業してからはご縁もあり、関西社会人チーム1部リーグに所属していたアミティエSC京都(現おこしやす京都AC)に入団することになります。アミティエSC京都に入団を決めた理由としては、将来的にJリーグ参入を目指していたことと、サッカーをしながらサッカースクールのコーチも兼任できるという点です。アミティエSC京都は「選手は全員コーチ」というキャッチフレーズのもと、選手全員がスクールのコーチを担当していました。指導面では得意な部分を伸ばしてほしいという思いもあり、時には失敗してしまった場合でも、褒めるということを行っておりました。失敗した際に、叱ってしまっては挑戦することに臆病になってしまう可能性があるので、子どもがのびのびプレーできる環境を作るのもコーチの役割だとこの経験から学びました。アミティエSC京都(現おこしやす京都AC)に在籍時は、2度地域チャンピオンズリーグ(JFL昇格戦)に挑戦しましたが、あと1勝で昇格を逃した経験があります。目の前でコバルトーレ女川さん(東北社会人1部リーグ所属)にJFL昇格を決められた瞬間を今でも鮮明に覚えています。様々な経験をさせていただき、2018年に現役を引退し、その後は、滋賀県にあるルネス紅葉スポーツ柔整専門学校で専任教員として従事しながら、男子・女子サッカー部の指導に携わらせていただきました。
【現在の仕事】
現在は、選手兼コーチ兼営業としてチーム強化にあたっています。日々のトレーニング内容の考案や振り返り、監督のサポートをしながら試合の分析などを行い、選手としてもプレーさせていただいております。みちのく仙台FCがJリーグに昇格できるよう、まずは東北2部リーグを優勝して1部昇格を決めたいです。また営業活動も行っておりまして、仙台で仕事をするのは昨年からになるのですが、多くの経営者様にもお会いさせていただき、クラブのご紹介をさせていただきました。より多くの方々とJリーグまでの道のりをご一緒できましたら嬉しいです!
【特技・趣味】
趣味はアウトドアです。キャンプやBBQ、焚き火などアウトドアブームにしっかりとのりました!関西に住んでいた頃は、琵琶湖の湖岸でキャンプをよく行っており、自然の中で過ごすのんびりとした時間や、外で食事をすることでよりおいしく感じたり、非日常空間を味わえることがとても好きです。特に、焚き火はリラックス効果もあり、自然体の中でコミュニケーションが取れるので、普段できないような会話が自然とできるのも焚き火の醍醐味だと思います。
【今シーズンにかける意気込み】
今シーズンは、東北2部リーグを優勝し東北1部リーグに昇格を決めたいと思います!約3年ぶりに現役復帰をさせていただき、選手としてもコーチとしても貢献できるようチームが目標を達成できるように役割を全うしたいと思います。また、自分自身が生まれ育ったこの街で新たなチャレンジをさせていただけることに感謝し、下部組織である仙台FCアルドーレの選手たちが、「目指したい場所」と思えるようなチームになっていければと思います。まずは、昇格を目指してチーム全員が成長していけるように日々の練習に励んでいきます。