塚⽥ 蒼
so TSUKADA
DF - 背番号3
PROFILE
出身 長野県
生年月日2002年6月7日血液型O型
身長/体重165 / 62
【生い立ち】
~サッカーとの出会い~
 私は2002年6月7日に長野県諏訪市に生まれました。家族構成は、母、兄、祖母、自分の4人家族です。実は、私の母親の誕生日も6月7日です。確率でいうと0.3%に満たないほどだそうです。現在は別々に暮らしておりますが、毎年お互いに祝い合っております。
 5歳の時に兄の影響でボールを蹴り始め、小学校1年生の時に正式に地元の少年団チームに入団しました。当時はそこまで人数が多くなく、低学年は3学年一緒に練習する形でしたので、年上の選手たちの中に混じってプレーしておりました。その頃から攻撃よりも守備が得意だった私は、年上の選手の動きに必死について行こうとしておりましたが、体格の違いに圧倒され、倒されたりシュートを顔で受けたりするとすぐに泣いてしまい、練習で途中離脱することや、試合で監督さんにお姫様抱っこをされて途中交代することが多くありまして、非常に痛みに弱い幼少期でした。しかし、このような経験もありまして、勝負に対して負けたくないという気持ちを持つようになりました。
~世界レベルを経験した小学校時代~
 小学校6年生の時には、東京で開催されるワールドチャレンジという大会に出場することになりました。この大会は、日本を代表する強豪チームが日本・世界から集結する大会なのですが、私が所属していたチームが街クラブ枠として出場しました。その中でスペインの強豪FCバルセロナの下部組織のチームと対戦しまして、本大会史上最多タイ失点(0-9)で敗北してしまいました。同じ小学6年生とは思えない体格・スピード・技術を肌で感じ、世界との差を痛感したとともに、彼らのようになりたいと本気でサッカーと向き合うきっかけになりました。
~100㎞以上の距離を通い続けた3年間~
 小学校6年生の頃に、自分の実力がどこまで通用するのか試したいという想いから、現在J3リーグに所属するAC長野パルセイロのU-15のセレクションに参加しました。セレクションは一次、二次、三次(3日間)の計5日間ありまして、個人の成績(トレセンなど)によって二次セレクションから参加する選手もおりまして、全部で約120人程が参加しました。私は一次セレクションからのスタートでしたが、順調に通過し続け、結果的に全セレクション合格・AC長野パルセイロU-15への内定が決定しました。当時の合格通知を見た瞬間の喜びは今でも忘れません。
 ただセレクションに合格したものの、入団後の活動の中で懸念点がありました。それは、私が当時住んでいた諏訪市から練習場がある長野市までは100㎞以上の距離があり、高速道路を使っても1時間15分~30分かかるため、週3日のトレーニングに毎回遅れて参加することになってしまうということです。このことから、入団説明会の際に、U-15の総監督の方とU-13を担当してくださるコーチの方にご相談させていただくと、「クラブとしては毎回遅れても良いから練習に来てほしい。来てくれればしっかり面倒をみます。」とおっしゃっていただいたことで、入団を決断しました。
 入団後は、何より家族の協力がとても大きかったと感じています。練習の日は、母が仕事から帰宅するとすぐに自分を乗せて出発し、1時間以上かけて練習まで向かい、練習が終わり家に変える際は、金銭面を考慮して下道で約2時間半かけて帰ってくるという送迎を週3日していただきました。夕食は自分と母がそれぞれ学校と仕事に行っている間に祖母が作ってくれており、それを持って向かっておりました。時には家に到着する時間が次の日になっているということもあり、毎日疲れている母の姿を見て、自分の選択が本当に正しかったのかと考えることが何度もありましたが、自分にできることは一生懸命プレーしている姿を見せることしか出来なかったので、何があっても妥協せず、日々の練習・試合に常に全力で取り組んでおりました。
 そして、クラブ・家族の協力のおかげで3年間通いきることができました。また、併せて目標であったU-18への昇格を果たすこともできました。改めて自分を受け入れてくれたクラブの方々と、自分のサッカーのために協力してくれた家族に感謝しております。
~度重なる怪我に苦しんだ高校時代~
 U-18への昇格に伴い、さすがにまた3年間も通うことは厳しいということで、家族で長野市へ引越しをしました。私は家から自転車で通える公立高校へ進学し、母も新しく仕事を見つけて働き始めました。兄ですが、実は私が中学3年生の夏頃からAC長野パルセイロのアカデミーのコーチとして在籍しておりまして、高校に上がるタイミングで合流したという形になりました。兄は現在も他のクラブチームで指導者としての人生を歩んでおります。
 高校1年生の頃は、先輩方とのレベルの高い日々の練習について行くことが出来ず、苦戦しながらのスタートでしたが、徐々に試合の出場機会も増えるようになりました。高校2年生の頃にはコンスタントに試合に出場させていただき、秋頃にはトップチームの練習試合にも参加させていただきました。そこでは基礎的な技術やフィジカルの差を肌で感じ、全てにおいてまだまだ足りていないことを学ばせていただきました。そのような経験をさせていただきながら高校最後の1年を迎えましたが、チームの活動がスタートした2日後に、左足の第五中足骨の疲労骨折をしてしまいました。本来であれば3ヶ月程で完治する怪我なのですが、最後の1年ということから完治していない状態でプレーを再開し、案の定怪我を悪化させてしまい、6ヶ月チームから離脱することになりました。また、同じ時期に新型コロナウイルスによる1回目の緊急事態宣言の発令が重なり、学校や練習もなく、通院以外では外出せずに家で筋トレ等を通じて身体づくりに取り組んでおりました。
 長い準備期間を経て、夏の合宿でようやく復帰することができました。しかし、サッカーができる喜びを感じた一方で、体力面や試合勘を怪我の前に戻すまでに時間がかかってしまい、なかなか思うようなプレーが出来ないことに対しての悔しさやもどかしさも感じておりました。そんな自分を受け入れてカバーしてくれた仲間には今でも感謝しております。
 高校最後の大会を1週間後に控えた日に、私は来シーズン所属するチームを探すため、地域リーグのチームに練習参加させていただいておりました。高いレベルの中で最大限チャレンジしようと意気込んでいた矢先、練習中に今度は右足の第五中足骨を疲労骨折してしまいました。その瞬間、私の高校最後のサッカー生活が終わることになりました。私のサッカーのために家族も巻き込んだにも関わらず、高校最後のプレー期間はわずか3ヶ月となってしまい、不甲斐なさと悔しさが残る結果となってしまいました。
 怪我から3週間後に手術を行いまして、3ヶ月間治療とリハビリに専念しました。この時期には周りの同期は既に進路が決まっている中で、私だけ何も決まっていない状況で、サッカーを続けるか一旦サッカーを辞めて就職するかを悩んでおりました。しかし、辞めるにしても最後のギリギリまで諦めずにやってからと決めていたので、主に社会人チームを探していました。その際に、スポーツXグループ他クラブに1週間の練習参加と面接を経て、選手兼社員として入団させていただけることになりました。改めてこれ以上ない協力をしてくれた家族には心から感謝しておりますし、これからはその感謝の気持ちや恩を返していけるように頑張りたいと思っております
【現在の仕事】
 選手兼社員として、午前中はサッカーのトレーニングをし、午後からスーツに着替えて弊クラブの営業と総務を担当させていただいております。営業面では、みちのく仙台FC&塚田蒼の存在や活動を、より多くの方々に知っていただくために地域訪問を実施しております。その中で皆様に明るいニュースをお届けできるように頑張りたいと思います。皆様と楽しい時間をご一緒させていただけますと大変嬉しく思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。
【特技・趣味】
 筋トレをすることです。最高で週7日、最低でも週4日ジムに通っております。今年の目標は、ベンチプレス&スクワットでは90㎏を10回、懸垂は30回を掲げています。ちなみにですが、昨年の最高成績は、ベンチプレス80㎏を10回×3セット、懸垂19回、スクワットは80㎏を10回でした。
 私が筋トレに目覚めたきっかけですが、高校に上がり週1日チームで筋トレを行うようになったのと同時に、進学した学校にトレーニングルームがあったことから、週1日のチームトレーニング+週3日の早朝筋トレを3年間継続したことが自然と趣味に変わり、現在に至ったのだと思います。
【今シーズンにかける意気込み】
 今年からみちのく仙台FCとしての活動がスタートします。しかし、私たちがこのように活動できるのは、設立から26年間歴史を紡いできた方々がいたからこそだと思っております。そういった数多くの先人たちのためにも、更なるクラブの発展に貢献できるように頑張ります。その中の1つとして、今年の必達目標として、東北2部リーグ優勝&東北1部リーグ昇格を果たせるように、自分のやれることに全力で取り組んでいきます!