古澤 航平
kohei FURUSAWA
DF - 背番号5
PROFILE
出身 宮城県
生年月日1997年6月12日血液型O型
身長/体重179/ 72前所属-
【生い立ち】
~杜の都仙台で生誕、サッカーとの出会い~

1997年6月12日に宮城県仙台市で生まれました。両親、3歳下の弟との4人家族で、祖父母とも一緒に暮らしていました。仙台市は人口100万人以上の大都市でありながら自然も豊かで、とても住みやすい街で知られています。仙台へ転勤してくる方々にも気に入って頂く事が多く、「仙台って過ごしやすいところだね!」と言っていたいただいた時は、生まれてから今に至るまで仙台で過ごす私にとってはとても嬉しいことでした。
 5歳の時にサッカーを始めました。従兄弟の試合を応援に行った事がきっかけで「サッカーってカッコいい!」と勢いそのまま地元の少年団に入団。気がつけば土日はスポ少、平日は他のスクールで毎日練習していたので、サッカーが大好きで仕方ありませんでした。幼いことからサッカーに打ち込む環境を用意してくれた両親には心から感謝しています。

プロサッカー選手を目指す日々と挫折

中学からベガルタ仙台Jr.ユースに入団しました。約200人中18人しか選ばれない狭き門を潜り抜け、全国クラブユース選手権u-15ベスト8(歴代チーム最高成績)をチームメイトで成し遂げられたことは心から嬉しかったです。当時のポジションもCBで、後ろで組み立てながら縦へ楔のパスを通すプレーや、ロングフィードなど、ビルドアップが得意でした。この経験は、当時からパスを繋いで相手ゴールに前進していくというチームのスタイルがあったので、今でもチームのために活かせていると感じています。高校もベガルタ仙台ユースに昇格する事ができ、全国クラブユース選手権u-18ベスト4(歴代チーム最高成績)、宮城県代表として国体出場やトップチームの練習参加など経験する事ができました。ちなみに当時在学していた仙台大学附属明成高等学校では、NBAで活躍している八村塁選手が同級生でした。世界を目指して厳しい練習にも前向きに取り組んでいた姿勢が目に焼きついています。
しかし、高校2年生で大きな挫折を経験。膝の大怪我を2回繰り返し約1年半のリハビリ。チームメイトへ抱く劣等感、進路への不安など、辛く苦しい感情をただ「我慢」するしかありませんでした。高校3年生最後の公式戦が復帰戦でして、試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、家族や友人、支えてくれたトレーナーの顔が浮かび感謝の気持ちが込み上げてきたのを覚えています。
当時の自分からしたら大きな挫折でしたが、悔しい経験と我慢、そして仲間への感謝を学ばせていただき、ベガルタ仙台で過ごした6年間は人生の財産になりました。

弱さと向き合い「人」として成長できた大学4年間

ベガルタユース卒団後は地元の東北学院大学へ進学。1年生から少しずつ出場の機会をいただき、4年生では部員約60名のキャプテンを務めました。キャプテンとしてチームを率いていかなければと思いつつも、周りの意見や気持ちを優先しすぎてしまう事、周囲の機嫌を見過ぎてしまう事があり、キャプテンとしてチームを引っ張る事に「苦しさ」を感じていました。しかし、信頼してついてきてくれたチームメイトのサポートもあり、10年ぶりのインカレ出場を果たす事ができました。
キャプテンを担い、自分の弱さと向き合えた事は本当に良い経験だったと感じています。

【特技・趣味】

登山をする事です。秋田駒ケ岳のムーミン谷は感動しました。東北の山しか登った事がありませんが、いつか南アルプスにチャレンジしたいです。同年代で登山する人があまりいないので是非登りましょう!
家でコーヒーを豆で挽いたりもします。朝の一杯は最高ですよね。ぜひおすすめの豆があれば教えてください!

【今シーズンにかける意気込み】

今シーズンは東北1部リーグ昇格を果たします!
個人としては、ディフェンダーなので体を張ったプレーや後方からの声でチームを支えられるように頑張りたいと思います。応援よろしくお願いします!